スタッフブログ
STAFF BLOG
社長のひとり言大正11年(1922年)2月10日、四国で初めての開港場、つまり
外国貿易船が出入り出来る港の指定を受けました。
今年で100周年です。
今治港湾第2期工事が完成した頃(昭和9年)の今治港全景です。
今治市HPより
今治の開港に尽力され、今治の「港の恩人」と呼ばれる
飯忠七さんをご紹介させて頂きます。私は忠七さんのひ孫の
飯忠悟さんに大変お世話になってます。ありがとうございます。
飯忠七は、明治3年、押切船(手漕ぎと帆を併用する船)で大阪航路
を開設します。
飯忠七は、明治7年頃、蒸気船時代の到来を確信し、
蒸気船(大阪航路)の誘致を、始めました。今治市の資料によると、
「忠七は毎日のように海岸にたたずみ、汽船が今治沖を通過するのを
見ると、伝馬船を、漕ぎ出して昼は旗を、夜は提灯を振って狂気のご
とく停船を求め寄港を依頼した。人々はその姿を見て、"忠七は気が
狂った"と噂しあった」と
飯忠七の熱意は徐々に功を奏し、明治9年蒸気船の大阪航路を誘致
することが出来ました。しかし、これで終わりではありません。
今治市HPより
沖の本船と"はしけ船"(通い船)
当時の今治港は浅かったので、本船はかなり沖にしか停泊出来ず、
その間を"はしけ船"でつなぎました。
そして、大正9年より港湾改修工事に着手し、大正11年開港場の
指定を受けることが出来ました。
飯忠七さんの業績を讃える「飯忠七翁功績の碑」は今治港の
ふれあいマリン広場に有ります。
是非、一度ご覧下さい。
昨日は、松山方面の現場を廻りました。
まずは、堀江旧道の物流センター新築工事の現場へ
草刈りをしてこれより、本格工事に着工します。
そして、山越えで道後に向かいます。
さらに山道を進みます。
菅沢町の青果冷蔵倉庫の現場へ
整地完了してます。建築許可下り次第着工です。
そして、道後の保育園の現場へ
保育園らしくなってきました。
そして、桑原町経由で東温市へ
トラック倉庫の現場です。
外壁の工事も終わり、今月完成です。
外壁の色は?
なんと、カッコイイではありませんか。
若い人は分かりませんが、サンダーバード2号を思い出しました。
素晴らしい。
それから、国道11号線沿いの機械工場の現場へ
表土を除去して、これより敷地の造成工事をします。
一つ一つ優良工事で進めて参ります。
たくさんのご縁をありがとうございます。
重松建設の事務所には日本トリムの電解水素水整水器を取り付けて
ます。
電解水素水は水素を含んだアルカリの水です。
胃腸症状の改善に効果があります。
他にも利用出来ます。
酸性水と浄水も作れます。こんな利用が出来ます。
私は、毎日酸性水でうがいして、顔を洗って、
電解水素水を飲んでます。
キッチンにも取り付け出来ます。
電解水素水をお使いになりたい方はお問合せください。
今日で東日本大震災から11年ですね。
2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生しました。
今日と同じ金曜日でした。11年前のこの日は、東京丸の内の
住友林業本社で、イノスグループの会議に参加してました。
大きな揺れが来て、全員机の下にもぐりました。当然会議は中止に
なり、みんなでテレビを見た記憶があります。
最初の報道は東京湾で火事が起こったということでした。まだ、詳細
は何も報道されませんでしたか、だんだん東北の津波予報が出てきて
最初は6m?だったのが20m?などのテロップが流れ、何かの間違い
だろうと思った記憶があります。
住友林業さんからヘルメットと水を渡され、すぐにビルから避難して
くださいと言われました。帰りの飛行機も止まってるので、東京駅か
ら新幹線の乗ろうとしても止まってる。
これは大変と昨日泊まったホテルにもう一泊させてもらおうとフロン
トに行こうとすると、エレベーターが止まってるので、階段で何十階
にあるフロントまで登って行ったのを覚えてます。
それから一年後の2012年(令和24年)4月10日から
4月12日に宮城県と岩手県を訪れました。
訪れた理由①
愛媛県倫理法人会会長として、東日本大震災でお亡くなりになった
宮城県倫理法人会石川茂男会長のお墓参りをするため
訪れた理由②
岩手県山田ロータリークラブが建立した、"鎮魂と希望の鐘"を
訪問するため
そしてその一年後、ロータリークラブでお話した時のレジュメです。
悲しみが蘇ってきました。
萩の月で有名な菓匠三全の田中社長の105歳のお母様から
"あきらめない"のハガキを頂いて逆に励まされたことを
思い出しました。
今日の節目を迎え、逝かれた方々への鎮魂の祈りを捧げたいと
思います。
本日は今治市ハンドボール協会副会長として、
今治東中等教育学校の女子ハンドボール部を訪問しました。
全国大会出場の激励賞をお渡しするためです。
まずは中等部にお祝いをお渡ししました。
富山県氷見市で3月26日から開催される
第17回春の全国中学生選手権大会に出場されます。
なんと一回戦で地元氷見十三中学と対戦します。
顧問の扇山先生にお聞きすると強いそうです。
頑張って下さい。
続いて高等部にお祝いをお渡ししました。
愛知県で3月24日から開催される
第45回全国高等学校選抜大会に出場されます。
二回戦で福井商業と四日市商業の勝者と対戦します。
顧問の扇山先生にお聞きすると、どちらが勝ち上がっても強い
そうです。頑張って下さい。
最後に集合写真です。
身長、全く違和感ありません。
全国大会にコンスタントに参加し続けている
今治東中等教育学校女子ハンドボール部を今治市民として
応援よろしくお願いします。
昨日はロータリークラブ 2021年度愛媛分区 米山奨学生終了式
に参加させて頂きました。
私は司会をさせて頂きました。
愛媛大学4回生、ベトナム出身のグエンハヴィさんに終了証書が、
第2670地区パストがバナー桑原征一様から贈呈されました。
グエンハヴィさんからは、
「2年前に米山奨学生に採用されたとメールが届いた時に、どれだけ
嬉しかったか忘れられません。しかし、ベトナムに帰省していてコロ
ナ禍により日本に再入国出来ず、9月になり日本に入国でき、11月
から例会に参加出来るようになり、溝部カウンセラーさんと直接お会
いして、お食事をしたり、大学のことや悩みを聞いて頂いてとても感
謝しています。4月からは大学院に進学しますので、これからも皆様
の交流を続けていきたいと思います。ありがとうございました」
そして、溝部カウンセラーにも感謝状が贈呈されました。
溝部カウンセラーからは、
「半年後にハヴィさんにお会いしてみると、明るい性格のハヴィさん
と前向きな交流ができ、ハヴィさんも成長することができたのではな
いかと思います。ハヴィさんと一緒に生け花をする約束が実現できて
ませんので、まだ松山におられますので実現したいと思います」
そして、継続米山奨学生のグエンティトウマイさん(ベトナム)、
ファダスジャントウルさん(バングラデッシュ)
ピエウォンティリさん(ミャンマー)
からもスピーチを頂きました。
ピエウォンティリさんはzoomでミャンマーから参加してくれました
「この度、日本への入国の見通しがたち、母と一緒に必要なものの
買い物をしたりして準備を進めてます。今後、日本での新しい生活
を迎えることを思いワクワクしています。日本に入国し、皆さんに
お会いできることを楽しみにしています」
またあわせて、現在のミャンマーの厳しい内政事情の報告もありまし
た。
ウクライナ情勢だけに気を取られてますが、ミャンマーも引き続き
厳しい状況とお聞きし、悲しい思いになりました。報道されてない
不幸が世界に沢山ありますね。
米山奨学生の事業は、世界平和に貢献するため、将来日本と世界を結
ぶ「懸け橋」となる人材を育成することを使命としてます。
こつこつ積み上げても、一人の独裁者の前には無力なのだろうか?
でも、今自分が出来ることに集中して日々過ごしたいと思います。
奨学生の皆さんの笑顔とカウンセラーの方の涙に救われた一日でした
ありがとうございました。
今朝愛媛新聞に日赤県支部は3日、「ウクライナ人道危機救援金」の
受付を開始したと書かれてました。
重松建設も微力ながら、本日「日本赤十字」に救済金を、振込させて
頂きました。
ウクライナを少し勉強しました。人口は、4,159万人。国土は
日本の約1.6倍・約7割が農地で小麦、とうもろこし、ばれいしょ
ひまわりの種などを生産し輸出してます。近年はIT市場が急速に成長
しているそうです。日本とは1992年に国交樹立後、友好関係が築
かれてます。
岸田総理大臣の「日本はウクライナと共にある」のお言葉通り
日本国民として、共にありたいと思います。
本日は、「ひな祭り」女の子の健やかな成長を願う日ですね。
ということで、初孫の女の子が大好きな、いちご狩りに行きました。
大三島のKiki's苺ハウスへ行きました。
40分頑張って食べました。
イチゴが似合いますね。私がです。
コロン、ゴン太、桜、小春も一緒に来て来れました。
ありがとうございます。
大山祇神社で孫の健やかな成長お祈りしました。
この子が戦争の無い平和な時代を、過ごせますように
心より願います。そして、そのためにも今の大人がしっかり
しなければなりませんね。
私は基本的に日曜日にお休み頂いてます。休みも朝礼参加出来る時は
参加してます。朝礼終わると、現場回りに出ます。
日曜日の楽しみの一つ目は、
南海放送の「ヒコヒコジョッキー ラジオマンの憂鬱」を聞きながら
現場回りをする事です。田中和彦会長のトークは楽しいですね。そし
て50歳以上限定の番組素晴らしい。
現場回りには秘書のコロンが一緒に行ってくれます。
道後の保育園も仕上げ工事に入ってます。
東温市のトラック用倉庫は建て方工事が終了しました。
これより、外部仕上げ工事に入ります。
日曜日の楽しみの二つ目は、テニスをする事です。
私のハッスルプレーに声援を送っているのはコロンと小春です。
いつもありがとうございます。
日曜日の楽しみの三つ目は大河ドラマです。
8時から観て、また録画で観て
二回観ることもあります。
楽しい日曜日が好きです。
本日は、2月26日。2・26事件が起こった日ですね。
今から7年余り前、倫理法人会の講演会で、お話を聞くことが出来ま
した。このような機会を与えて頂いた倫理法人会に感謝します。
お亡くなりになる2年余り前でした。
膵臓がんを患われて講演会をされたのも最後の頃だったと思います。
渡辺和子さんは、36歳の時思わぬかたちでノートルダム清心女子大
学の学長に任命されました。悩んでいたその時、一人の宣教師が手渡
してくれたのが、「置かれた場所で咲きなさい」という短い詩だそう
です。
「置かれた場所に不平不満も持ち、他人の出方で幸せになったり不幸
せになったりしては、環境の奴隷でしかない。人間として生まれたか
らには、どんな場所に置かれても、そこで環境の主人公となり自分の
花を咲かそうと、決心することができた」述べられました。
渡辺和子さんは、1927年(昭和2年)2月、教育総監・渡辺錠太郎
の次女としてお生まれになりました。
1936(昭和11年)年2月26日、渡辺和子さん9歳の時の事です
「30数名の陸軍の青年将校と兵士が朝の6時前、トラックで家に
乗りつけてきました。父が機転を利かせて、私を座卓の陰に間一髪
で隠してくれたのですけれども、将校たちは軽機関銃を据えつけて
私の目の前1メートルの所で父を惨殺して帰りました。血の海の中で
父は死にました。その寝室には、私と父しかいませんでした。かくし
て私は、"父の最後を看取った、たった一人の人間となりました」
ずいぶん経って、父を殺した側の兵卒と対面したそうです。
許そうと努力したけど、体がいうことを聞かなかったそうです。
「許さない間は相手の支配下にある。
自由になるために"思いを断ち切ること"が大切」と述べられてます。
なんとも素晴らしい。渡辺和子さん、ありがとうございました。
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